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愛と野望のナイル(8)

愛と野望のナイル(1990年アメリカ 日本公開: 1990年)Mountains of the Moon

8. 見どころ③!~悲劇的な末路に至る友情の物語!~

 ナイル川水源探索の遠征の中で苦楽を共にし、固い絆で結ばれていくバートンとスピーク。それが広大なアフリカの大地で描写され、感動は2人のタンガニーカ湖到達の場面で絶頂を迎えます。そして、描かれるスピークの単独行によるビクトリア湖の発見。ビクトリア湖をナイル川水源だと主張するスピークに対して、それを疑うバートン。二人の亀裂はここから始まるのですが、それが決定的になるのは、2人がイギリスに帰国してからです。周囲の人々の思惑が重なることで、2人の友情は不仲へと変貌するのです。広大なアフリカとは対照的に、狭苦しく描かれるイギリスの街並みが、人間関係の窮屈さを強調します。2人の友情を破壊する悪役としてオリファントが登場しますが、オリファントは、小悪党といったイメージを与えます。確かにスピークに嘘をつき、スピークとバートンの友情を潰していくのですが、真の悪役は王立地理協会といえるでしょう。バートンとスピークに、討論によって対決させ、決着をつけさせようとしますが、それもすべてはナイル川水源の話題で世論を熱狂させ、さらなるアフリカ探検の支持を得ることが目的です。この目的は帝国主義イギリスの目的であり、実際、イギリスはこの後アフリカへ勢力を拡大していくことになります。2人の討論会の前日、スピークは狩りに出かけ、銃で自殺します。討論の当日、聴衆を前に自分の主張を述べるバートンのもとに、スピーク死亡の知らせが届けられ、2人の友情の物語は悲劇に至ります。ブラジルへ領事として旅立つバートンとイザベルの旅支度の様子で映画は幕を閉じますが、バートンはその後のイギリスの勢力拡大とアフリカの古い文化の崩壊を予見しているかのようです。南米へ向かうバートンのイギリスを見限ったという思いが伺えるラストシーンです。

 バートンとスピークの友情の物語は悲しい結末を迎えましたが、映画の最後に、その後、スピークのビクトリア湖水源説が立証されたことが紹介され、歴史の皮肉を感じさせます。

 実際は、その後も探検は続き、20世紀の初めになって、ようやくナイル川の水源は解明されました。最も南の水源地は、ルヴヴ川、カーガラ川を経てビクトリア湖に注ぐブルンジン共和国のルヴィロンザ川だとわかったのです(アンヌ・ユゴン著、堀信行監修「アフリカ大陸探検史」創元社『知の再発見』双書29、1993年)。

 また、実際は、バートンが自尊心が強く、横暴だったのに対し、スピークは謙虚だったようです。それらは歴史の謎ですが、『愛と野望のナイル』が、史実をドラマチックに脚色し、優れた歴史ドラマに仕上げられているのは紛れもない事実でしょう。

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