• 映画の思い出を語っていきます!

イヤー・オブ・ザ・ガン(その2)

イヤー・オブ・ザ・ガン(1991年アメリカ 日本公開: 1991年)Year of the Gun

2. 日本の映画会社と大物プロデューサーのコラボレーションでも話題に!

 日本の映画人は、1980年代末から1990年代初めにかけて、海外とのコラボレーションで作品を発表することが目立ちました。
 1988年は、そういった作品が顕著な年でした。1988年1月に正月第二弾の興行として公開されたベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(1987年)には、坂本龍一が音楽と俳優を兼ねて参加。4月には、ゴールデン・ウィークの興行として、伊武雅刀、ガッツ石松らが出演したスティーブン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国』(1987年)が公開され、話題になりました。6月には、夏休みの興行として、大映が佐藤純彌監督のもと中国で大規模なロケーションを敢行した『敦煌』(1988年)を発表。佐藤浩市、西田敏行ら出演の『敦煌』は大ヒットし、その年の日本アカデミー賞で作品賞を含む7部門の最優秀賞を受賞しました。また、秋の興行では、ヨーロッパでロケーションをした『アナザー・ウェイ―D機関情報-』(1988年)が公開されています。山下耕作が監督し、役所広司が主演した『アナザー・ウェイ―D機関情報―』には、海外からロバート・ボーン、ウド・キアらが参加しました。12月には、フジテレビジョンが香港のゴールデン・ハーベストと製作した『孔雀王』(1988年)が公開されました。日本、香港混成のスタッフのもと、三上博史、安田成美、ユン・ピョウらが出演した『孔雀王』は、1989年のお正月映画の興行を大いに活気づけました。『孔雀王』は、好評で1990年には、阿部寛主演による続編『孔雀王/アシュラ伝説』(1990年)が作られています。1989年秋の興行で、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)が登場。マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、松田優作、若山富三郎、内田裕也らが出演した『ブラック・レイン』は、大阪でロケーションが行われ、リドリー・スコット監督らしいスタイリッシュな刑事アクションに仕上がり、大ヒットしました。同じ時期、エドワード・フォックス、デンホルム・エリオット、ジョージ・タケイら英米のキャストに仲代達矢、高橋悦史らが加わった『戦場にかける橋2/クワイ河からの生還』(1989年)も公開されました。翌1990年には、NHKエンタープライズと学研が出資し、ハリウッドのスタッフ、キャストで製作したSF大作『クライシス2050』(1990年)が登場。『クライシス2050』は、『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(1990年)らが公開された1990年夏の興行で健闘しました。
 そんな日本の映画人と海外とのコラボレーションが進む中、製作されたのが『イヤー・オブ・ザ・ガン』です。『イヤー・オブ・ザ・ガン』は、日本のアスキー映画がハリウッドの大物プロデューサー、エドワード・R・プレスマンと提携して作られました。エドワード・R・プレスマンは、マイケル・ダグラスがアカデミー賞主演男優賞を受賞した、オリバー・ストーン監督の『ウォール街』(1987年)、キャスリーン・ビグロー監督が注目されるきっかけとなった『ブルースチール』(1990年)、ジェレミー・アイアンズがアカデミー賞主演男優賞を受賞した、バーベット・シュローダー監督の『運命の逆転』(1990年)など質の高いエンターテイメント作を連発し当時、注目を集めていました。『イヤー・オブ・ザ・ガン』もポリティカル・サスペンスの佳作に仕上がっています。
『イヤー・オブ・ザ・ガン』のあと、エドワード・R・プレスマンは、村上弘明出演の日米合作映画『アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想』(1991年)を発表。1992年には角川映画を牽引した角川春樹がハリウッドに進出し、アンディ・マクダウェル、リーアム・ニーソン出演、グレアム・グリフォード監督の『ルビー・カイロ』(1992年)を製作しました。しかし、このころを境に日本の映画人の海外とのコラボレーションは下火になっていきました。

 私は、大学生のころ『イヤー・オブ・ザ・ガン』を京都の京都松竹座で鑑賞しました。ジャーナリストの青年がイタリアで体験する陰謀のドラマをハラハラしながら楽しみました。

『イヤー・オブ・ザ・ガン』(その3&その4)デヴィッド・レイボーン、再びローマに!~ストーリー①~&大学教授イタロ・ビアンキとの再会!~ストーリー②~