パニック映画の魅力は、普通の人々が災害などに対処する中でヒーローとなっていくところにあります。『首都消失』もそんな魅力に溢れたSFパニック映画です。電機会社に勤めるエンジニア、フリーキャスター、報道マンたちが、異常な状況の中でその状況を打破するために活躍し、より魅力的なキャラクターになっていきます。
『首都消失』は、日本SF界の巨人ともいうべき小松左京の小説の映画化です。
小松左京原作の映画は、奇想天外で規模雄大な発想のものが多く、映画の魅力になっています。『日本沈没』(1973年と2006年に2度映画化)は、そのタイトルが示すように日本が太平洋に沈む話。『復活の日』(1980年)は、謎のウィルスによって人類が滅亡する話。『さよならジュピター』(1984年)は、太陽系内に侵入してきたブラックホールの進路を変えるために木星を爆破する話でした。そして、『首都消失』は、東京が謎の雲のようなものに覆われ外部と連絡が取れなくなる話です。日本人が首都東京を失う事態に陥るという発想は、極めてユニークで、否が応でも興味をもたされます。
ちょうど、首都機能の集中が問題になったころの映画です。東京に政治のあらゆる機能が集中しすぎているので、その一部を地方に分散させたほうがよいのではないかといった議論が活発になされていました。そういう意味でもタイムリーな映画でした。
先に挙げた小松左京の映画は、どれもタイムリーなテーマや話題を扱っていました。
最初の『日本沈没』(1973年)は、終末論やオカルトが流行した1970年代の映画。『エクソシスト』(1973年)、『オーメン』(1976年)などのオカルト映画があいついで公開され、五島勉の「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになったころでした。(『ノストラダムスの大予言』も、1974年に『首都消失』の舛田利雄監督で映画化されました。)
『復活の日』(1980年)は、1980年代に世界に広まったAIDSを予言した作品と、のちに語られました。昨年からの新型コロナウイルス感染拡大の中でも、『復活の日』は再注目され、劇場でリバイバル上映されています。
『さよならジュピター』(1984年)は、日本製の本格的なハードSF映画を作るために、小松左京自身が総監督を務めた作品です。1979年にNASAの無人宇宙探査機ボイジャー1号が、木星に環があることと木星の衛星イオが火山活動をしていることを発見しました。そこで、小松左京は、これらの発見を『さよならジュピター』の中でいち早く映像化しています。
私は、『首都消失』を高校生のとき、京都の美松劇場で鑑賞し、楽しみました。日本の特撮映画の底力に唸りました。評価の分かれる作品ですが、映画館は満員だったのを覚えています。