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曼荼羅 若き日の弘法大師・空海(3)

曼荼羅 若き日の弘法大師・空海(1991年日本・中国)

3. ストーリー

 映画は、現在の高野山の情景から始まります。高野山へ至る南海電鉄の路面電車、ケーブルカーの車内、高野山を歩く遍路姿の人々が映し出されます。そして、スクリーンに高野山の「奥の院」が登場したあと、観客は平安時代へ誘われます。
 のちの空海こと佐伯真魚(さえきのまお)は、791年、当時の役人への出世コースだった大学寮の明経科に進みます。しかし、間もなくそこをやめ、山野で修行を始めます。民衆と生き、大自然の中で、真理を求めることにしたのです。真魚は、ある日、山中で喜娘(きじょう)と椰(なぎ)に出会います。喜娘は、先の遣唐大使・藤原三位清河の娘で、付き人の椰に踊りを教えていました。椰は近々、唐へ戻る喜娘に同行することになっていました。
 福原の大輪田泊(神戸)。当時、山野修行に励む僧侶は多くいて、真魚は、その一人、安底利(あてり)を見ます。また、真魚は、大学寮で共に学んだ大伴勝兄(おおとものかつえ)と再会します。勝兄は、唐へ献上する日本妓女を集め、その宰領として喜娘を遣唐使船に乗せる任務についていました。大輪田泊には、早良親王(さわらしんのう)の怨霊鎮めのため、淡路の早良親王陵を改修する目的で駆り出された農民たちを乗せた船もありました。真魚は、勝兄の屋敷に招かれます。屋敷には椰もいました。日本の仏典はすべて読破した真魚は、今のままの仏法では、衆生済度(しゅじょうさいど)ーすべての命あるものを迷いや苦しみから救うことーはできない、だから、衆生済度の実現と、国家を守る仏法のありか求めて、自分は修行している、と勝兄に言います。そして、真魚は、福原を去り、四国へ渡り修行を続けるのでした。
 夜、屋敷の外で一人で踊る椰を訪ねる者がありました。それは、幼なじみの小槌(こづち)でした。かつて小槌は、椰の家族と共に、生まれ故郷を追われました。その旅の途中、鈴鹿の山中で武者に襲われ、椰の家族とはぐれたのでした。そして今、仲間と瀬戸内の島に、国司の力の及ばない自分たちの国を作ろうとしていました。小槌は椰に一緒に島に行こうと誘いますが、椰は唐に行って好きな踊りを自由にしたいと言います。
 淡路の早良親王陵を改修するために集められた農民たちを半ば奴隷として乗せた船に、安底利と小槌の姿がありました。淡路で改修工事に従事させられる農民たち。夜、安底利と小槌は、官吏の館に火を放ち農民を解放しようとします。農民の何人かは、追手に捕まり、何人かは、海に逃れました。
 真魚は、室戸岬で修行を続けていました。夜、経を唱え続ける真魚の前に、曼荼羅に描かれた大日如来が現れます。そのあと真魚は、安底利と小槌に出会います。真魚は、淡路で農民を解放するときに傷を負った安底利を手当てします。安底利は、今は私度僧ですが、かつては南都の寺で修行し、大日経にも出会ったことのある人物でした。真魚は安底利から、大日経が大和の久米寺にあることを聞き、そこへ向かいました。久米寺で真魚は、大日経の解読に没頭します。また、その解読のために梵語も学びました。しかし、密教の奥義は、直接、密教の恵果阿闍梨(ケイカアジャリ)から伝授されなければ会得できないことを悟ります。真魚は、唐へ渡ることを決意します。三十歳になった真魚は、東大寺戒壇院で受戒し、名を空海と改めました。そして、留学僧として、入唐する政府の正式許可が下ります。
 804年、難波津(大阪)から遣唐使船は出発。空海は、遣唐大使・藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)、のちの三筆の一人・橘逸勢らと共に第一船に乗船。第二船には、最澄が大宰府から乗りこみました。遣唐使船は嵐に遭遇。空海は船上でひたすら祈り続けます。洋上に一月ほど漂流したあと、空海らを乗せた遣唐使船は、唐の福州の赤岸鎮(せきがんちん)に漂着しました。州の長官の交代時期と重なり、海賊の嫌疑をかけられた遣唐使一行は、三月余り海岸に留め置かれます。小槌も含む多くの人々が、海岸の炎天下で倒れていきます。彼らを解放する空海。名文家の空海が、福州の観察使に書状を送ったことから、遣唐使一行は上陸を許可されます。観察使によって宴席が催されたあと、一行は長安へ出発することになりました。それは2400km余りの旅でした。
 揚州で、ワン・チャホの店から購入した茶を船に積み込む商人・洞天(ドウテン)の姿がありました。役人のヒョウは、その積み荷を闇で売る塩だと疑いますが、駆けつけてきたワン・チャホの女将・顧燕(コエン)が機転を働かせ、茶を砂と一緒に袋に入れていたことを説明し、事なきを得ました。その様子を小槌と見ていた空海は、夜の宴で顧燕に見事な裁きに感心したと話します。塩は税金がとても高く、農民は買えないため、洞天は安い塩を農民に運んでいるのでした。洞天に安底利の姿を重ねる空海。小槌は、洞天の船に忍び込み姿を消します。
 揚州を発った一行は、山地に差し掛かります。楽な平地に下っていこうとする皆を 険しい山を越えるルートに導く空海。不平を言う者もいましたが、一行は空海の指示に従います。一行が山を登っていくと、突然、山の中腹が崩壊し、平地の道は土砂に埋もれてしまいました。このことを予見していた空海に驚く一行。
 51日の旅を経て、遣唐使一行は長安に入城しました。そして、高官の出迎えを受け、皇帝・徳宗に朝貢しました。しかし、徳宗はその直後に崩御。すぐに新帝・順宗が即位しました。空海は長安城内の大寺院をくまなく訪れます。青龍寺の真言密教七代目・恵果阿闍梨は、八代目となる空海を待っていました。しかし、空海は、大日と金剛頂の両密教を会得した恵果阿闍梨に会う前に、両密教の法典に精通するために梵語を学ばなければならないと考えていました。空海は、青龍寺の参道で、お参りに来た人々に頭陀袋(ずだぶくろ)を売る目の不自由な娘・香卉(コウカイ)に出会います。香卉は、祖母と母が頭陀袋を作っているところを見せたいと言い、空海を家に招きます。香卉の祖母から恵果阿闍梨の体が弱っていることを聞く空海。空海は天竺僧・南天婆羅門のもとで梵語を懸命に学ぶことになりました。また、空海と勝兄は、長安で喜娘、椰と再会します。喜娘ら日本妓女は、長安で献上の踊りを披露するのでした。空海は、顧燕とも再会します。顧燕は南天婆羅門の友人でした。顧燕、南天婆羅門と共に空海は大西北の旅に出ます。大西北では、洞天のキャラバンが盗賊に襲われていました。小槌は洞天と行動を共にしていました。洞天と小槌は、南天婆羅門のもとに急ぎます。こうして、空海は小槌と再会します。南天婆羅門は、洞天に塩は涼州(りょうしゅう)に置いてあるから誰かに取りに行かせるように言います。農民に代わって南天婆羅門に礼を言う洞天。洞天は、塩不足による流行病で困っている農民を助けようとしていたのでした。空海と小槌、南天婆羅門は、長安に戻ります。空海の計らいで小槌は、香卉の家で椰と再会するのでした。
 空海は青龍寺に行き、南天婆羅門の紹介で、恵果阿闍梨と対面します。そして、空海は、恵果阿闍梨から灌頂(かんじょう)を授けられることになります。青龍寺の多数の僧たちに交じって、空海を見守る喜娘、椰、小槌、香卉、勝兄。青龍寺の灌頂院で密教の秘儀が始まります。秘儀を終えた空海は、恵果阿闍梨から密教の第八代目阿闍梨として、遍照金剛(へんじょうこんごう)の称号を与えられました。
 恵果阿闍梨は、不空三蔵から受け継いだ八種の法具を空海に授け、その年の暮れに入寂しました。恵果阿闍梨の葬礼の翌日、皇帝・順宗が崩御し、新帝・憲宗が即位しました。空海は、新しく唐に到着した遣唐大使・高階遠成(たかしなのとおなり)から、橘逸勢と共に帰国する許可が下りたことを聞きます。帰国の途に就く空海。長安の城門で空海は、小槌と椰に見送られます。しかし、小槌に悲しい運命が迫っていました。

『曼荼羅 若き日の弘法大師・空海』(4)キャスト&スタッフ