『曼荼羅 若き日の弘法大師・空海』は、密教の秘儀を映像化した点で、稀な作品といえるでしょう。クライマックスで、その秘儀の模様が神秘的に描かれます。
その前に登場する、室戸岬で巨大な月を背に経を唱える空海(この時は佐伯真魚)のシーンも幻想的です。経を唱え続ける空海は、浜で出会った美しい女性と自分が、互いに手を握り合う様を見ます。次に空海は、その女性を入れた棺を運ぶ葬列を見、さらにその女性の墓を見ます。墓の中の女性の死体は朽ち果てていき、蛆虫におおわれたあと、骸骨になります。すると墓は風に吹かれて消え、代わって花が咲きます。今度は野原をその女性が子どもたちと駆けていく姿が現れます。そして、最後に曼荼羅に描かれた大日如来と出会うのです。ここに空海は、生から死、そして再生を目撃し、そのすべてをつかさどる大日如来の存在を悟ったのでした。この室戸岬のシーンは、空海の信仰が開眼に至るプロセスを非常にわかりやすく映像化していて、『曼荼羅 若き日の弘法大師・空海』を象徴する場面の一つになっています。
そして、クライマックスの空海が青龍寺で恵果阿闍梨から灌頂を授けられるシーン。まず、空海は、「大悲胎蔵曼荼羅(だいひたいぞうまんだら)」に臨み、目隠しをして花を投げます。すると花は中央の大日如来の上に落ちます。次に、空海は、また目隠しをして「金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)」に花を投げます。今度も上部に位置する大日如来の上に花は落ちます。この秘儀を通して、空海は恵果阿闍梨から「そなたはすでに仏だ。自ら仏と知ることが悟りなのだと」と言われます。そのあと、空海は恵果阿闍梨に合掌した指を開いて、蓮の花を形作るように言われます。その蓮の花の上に満月が見えてきます。そして満月の上に「金剛杵(こんごうしょ)=密教の法具」を思い浮かべ、真言を唱える空海。煩悩を打ち砕く金剛杵と一体になった空海は再び、恵果阿闍梨から「空海、汝、仏なり」と言われます。こうして、空海は密教第八代阿闍梨となります。この秘儀の丹念な映像化は、密教の会得という空海の信仰、精神世界の中で行われる出来事について、観客を理解に導くことに成功しています。
『曼荼羅 若き日の弘法大師・空海』は、信仰の世界を巧みに映像化している点で、空海の内面を描くドラマとしても見ごたえのあるものになっています。