昨年は、山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』が大ヒットし、アカデミー賞視覚効果賞も受賞。現在は、アメリカ映画の『ゴジラxコング 新たなる帝国』も公開中という具合で、勢いがとどまることを知らないゴジラ映画ですが、今回の「ちょこっと映画評」は、庵野秀明総監督による『シン・ゴジラ』を・・・
公開当時、先行のギャレス・エドワーズ監督の『ゴジラ』(2014年)が、敵怪獣を登場させ、怪獣映画の手本のような見事な作品になっていたので、本家日本はどうそれを凌駕するのか期待しました。開巻から二十分、ゴジラと会議室が交互に映し出される編集に会議好きの日本人の民族性を笑いましたが、このまま「もし、日本にゴジラが出現したら?」というシミュレーションを一本調子で描くのかと心配しました。それが後半に入り、アメリカが多国籍軍という名目で東京を核攻撃しようとする段階になり、なるほど、と膝を叩きました。「核兵器」が生んだゴジラを「核兵器」で駆逐するという皮肉を軸に、それを阻止し、血液凝固剤による「ヤシオリ作戦」に賭ける日本を描くことで、「核兵器のメタファー」としてのゴジラを総括する映画になっているからです。三度目の核攻撃を阻止することにドラマを収斂させるという発想は被爆国だからこその発想であり、このテーマ性が、アメリカ版『ゴジラ』を凌駕する柱となっています。庵野秀明総監督のもと、樋口真嗣監督が起用されたのもかつて『ローレライ』で三度目の核攻撃を阻止するという同じテーマを扱ったからと言っても偶然ではないでしょう。
「ヤシオリ作戦」がドラマチックな障害もなく、淡々と成功に向かうのも、ドラマがそういった描写に力点を置いているのではなく、三度目の核攻撃を防ぐというテーマの追求のためだと理解できます。したがって、この映画の敵怪獣はアメリカという国家ということになるでしょう。「好きにしたらいい」というセリフが二度、象徴的に登場しますが、日本はそれに対して核攻撃ではなく、血液凝固剤という平和的な手段を選択しました。そして、この映画は軍隊ではなく「日本の最後の砦」というセリフで言い表される自衛隊の奮闘による事態の収束を描ききりました。これが、この映画が提示する「核兵器のメタファー」としてのゴジラの総括でしょう。
人間ドラマもこの総括に呼応するように世代交代を描きます。首相は亡くなり、首相臨時代表が事態の収束に努めます。「ヤシオリ作戦」を現場で遂行する主人公たちが未来の首相とアメリカ大統領という予感を残します。世代交代までも描ききったこの映画に、今後の怪獣映画がどんなアプローチで迫るのか、期待したいと思います。