そもそも『用心棒』は、ダシール・ハメットのハードボイルド小説『血の収穫』を下敷きにしたものでした。『血の収穫』は、アウトローの探偵がある町のギャングの抗争を全員が共倒れになるように仕向け、解決するという痛快な小説です。したがって、ギャング映画に仕上がった『ラストマン・スタンディング』は、起源ともいうべき『血の収穫』に『用心棒』よりも近くなったということができます。『ラストマン・スタンディング』も『血の収穫』同様、アウトローがジェリコという町でアイルランド系のギャングとイタリア系のギャングの間を行ったり来たりしながら共倒れにもっていきます。『血の収穫』を下敷きにした別の映画にコーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』(1990年)があります。こちらは頭の切れるギャングが、二つのギャングの間を行き来し、自分の目的を達成するまでを描いています。『ミラーズ・クロッシング』が、ガブリエル・バーン演じる頭脳派のギャング(腕っぷしは全然強くない)を主人公にしているのに対し、『ラストマン・スタンディング』は、ブルース・ウィリス演じる二丁拳銃のすご腕が主人公。ブルース・ウィリスの策略家ぶりと迫力の銃撃アクションが見どころです。
また、『ラストマン・スタンディング』は、ブルース・ウィリスのナレーションとともにドラマが進んでいきます。これは『血の収穫』が主人公の語りで進む一人称小説であることと共通しています。この点も『ラストマン・スタンディング』が、『用心棒』よりも『血の収穫』に近い雰囲気を醸し出す要因になっています。