オリジナルの『用心棒』は、活劇のおもしろさを堪能できる作品に仕上がっていました。『ラストマン・スタンディング』もアクションシーンが見どころですが、私が初めて観たとき『マッドマックス2』(1981年)に似ていると思いました。『マッドマックス2』は、未来の荒野を舞台に流れ者のマックスが無法者から一つのコミュニティを守る物語で、マックスは英雄伝説的に描かれています。『ラストマン・スタンディング』もジョン・スミスという流れ者が、町のギャングを倒し平和をもたらします。『マッドマックス2』のマックスは最初、独りよがりの男として登場しますが、やがて人々を守るために命を懸けるようになります。ジョン・スミスもギャングの抗争を利用して一儲けすることを考える男として登場しますが、不幸な境遇の女性を解放する役目を負うようになります。
『ラストマン・スタンディング』は、全編にわたって宗教的なイメージを漂わせています。ジェリコという町の名前自体が『旧約聖書』の「ヨシュア記」に登場するエリコの町から来ています。『旧約聖書』では、エリコの町は、邪悪さのため神に裁かれ、預言者モーゼの後継者ヨシュアに率いられたイスラエルの民によって崩壊され占領されました。『用心棒』では、冒頭に人間のちぎれた腕をくわえた犬が登場し、観客をギョッとさせましたが、『ラストマン・スタンディング』では、そのかわりに虫がたかる馬の死体が映しだされます。また、死体を棺に納める葬儀屋が何度か登場します。これらのシーンは、二つのギャングが抗争を繰り広げるジェリコの町が腐敗し堕落した街、言い換えれば死の町だと印象づけます。『ラストマン・スタンディング』は、教会で祈りを捧げるフェリーナの姿から幕を開けます。『ラストマン・スタンディング』では、教会が重要な場所として登場します。ジョンがフェリーナと会うのも教会ですし、ドイル一派に捕まって拷問されたジョンが隠れ、傷を癒し最終決戦の準備をするのも教会です。金儲けだけを考えていたジョンが、いつしかフェリーナら不幸な女性を助けるようになり、ギャングを一掃することで死の町を再生します。ジョンが行った行為は神に見守られてなされたことのように解釈できます。その点で『ラストマン・スタンディング』は、宗教的な救世主伝説といえるでしょう。
結局、ジョンは再び無一文になって町を去ります。利己的な男が行った利他的な行為の物語でした。