ノールズはベトナム戦争で戦いましたが、その戦争体験で人間性が歪んでしまった男。バンコク、マニラ、グアムなどへ次々に飛ばされ、行く先々でトラブルを起こし、今度は西ドイツ・チェコ国境地帯という僻地に赴任させられました。冒頭の国境パトロールの場面が印象的です。先頭の車両が故障して止まるのですが、ノールズは、戦闘中に先頭車が止まれば、部隊は全滅だと言います。冷戦が終結しつつある中の国境パトロールは、いわばルーティンと化しているわけですが、ノールズだけ戦場にいる感覚。また、モスクワでは米ソのアメフトチームの交流試合が行われているご時世になっていますが、ノールズは交流試合を毛嫌いしています。戦争にのみ生き、冷戦終結という時代に適応できないノールズの姿を映し出します。ノールズに対峙するバラチェフもまた、同じ次元に生きる人物。バラチェフはアフガニスタン紛争に行き、未だにその過去を引きずっています。雪の球の投げ合いという小さな衝突が、2人のエゴによってエスカレートし、最後は米ソ両軍が出動する中での殴り合いに発展します。ノールズはベトナム戦争の時点で、バラチェフはアフガニスタン紛争の時点で、人としての成長が止まっているのでしょう。したがって、2人の戦いは野生と野生の戦いであり、傍若無人な意地の張り合いでしかありません。2人は戦争では英雄とみなされますが、平和な時代では単なる戦争マニアでしかなく、2人の戦いは児戯にも似ていて悲哀を感じさせるのです。
小さな衝突がエスカレートして戦争になるという点で、『対決』は、『ランボー』(1982年)に似ています。『ランボー』は、ある町を放浪するベトナム帰還兵のランボーが、保安官に傷めつけられたことで戦いを繰り広げるストーリー。『ランボー』が「たった1人の戦争」を描くのに対し、『対決』は、さしずめ「たった2人の戦争」。ワン・マン・アーミー(1人だけの軍隊)を描く作品は、シリーズとなった『ランボー』のほかにも、『地獄のヒーロー』(1984年、こちらも3作まで続編が作られました)、『コマンド―』(1985年)など、数多く作られましたが、2人の男の闘争を徹底的に描いた点で、『対決』は異色作といえます。