「赤い旅団」を題材にした小説を世に問いたい、という大望を抱くデヴィッド。しかし、その野心も、実は愛するリアと一緒になりたいという一途な思いと表裏一体という点で、デヴィッドは純粋な青年です。そして、現実をおもしろく脚色し、自身も嬉々として小説を書いている様は、どこか子どもっぽさを感じさせます。友人(イタロ)や上司(ベルニエ)を登場人物にし、それが自身と周囲を危険に陥らせることになるとは、露にも思っていません。また、デヴィッドは、一度辞めたアメリカン・ニュース社に風来坊のように現れ、再び職を得るという自由人としても描かれます。さらに、外国人であるデヴィッドは、イタリアにおいては傍観者であり、異国の地でちょっとしたアドベンチャーを 毎日楽しんでいるともいえます。そんなデヴィッドは、自分が書いた小説が、「赤い旅団」が企むモロ元首相誘拐を予言していたがために、「旅団」と対峙させられることになります。テロの世界を傍観しているだけだった主人公が、その世界の真っ只中に放り込まれるところに、『イヤー・オブ・ザ・ガン』の面白さがあります。「旅団」と対峙させられるまでの過程で、デヴィッドは、周囲の人々の二面性と、この世の闇を知ることになります。その経験によって、デヴィッドは、世の非情を学び、酸いも甘いも知った大人へと成長していくのです。『イヤー・オブ・ザ・ガン』は、若者の成長譚であり、青春の終わりを描く作品といえるのです。
デヴィッドを演じるアンドリュー・マッカーシーにとって、初のサスペンス映画となった『イヤー・オブ・ザ・ガン』ですが、それまで出演が続き、自身の人気につながった青春映画の側面も兼ね備えているのです。