キングコング2(8)

キングコング2(1986年アメリカ 日本公開: 1986年)King Kong Lives

8. 見どころ③!~キングコングを守る者、狩る者!~

『キングコング2』の人間のドラマは、ミッチェルとエイミー、ネビット中佐の3人のドラマです。人間のドラマをこの3人に絞ったのも映画から無駄な要素を省き、ストーリーをシンプルにした点で好感が持てます。観客は、視覚的な見せ場を次々に楽しむことができるのです。
 登場人物はキングコングを守る者と狩る者に分かれます。ネビット中佐率いる機動部隊に対し、多勢に無勢な中、ミッチェルとエイミーは、キングコングを守ろうと懸命に奔走します。観客はキングコングを応援しているわけですから、ミッチェルとエイミーの視点でドラマを見つめることになります。前作『キングコング』で、ジェフ・ブリッジス扮する行動派の動物学者ジャック・プレスコットとキングコングに愛されたジェシカ・ラング扮する女優ドワンがキングコングを守る者として負った役割をミッチェルとエイミーが引き継ぎますが、1970年代に作られた前作と1980年代に作られた続編では男女が役割を反対にしているところが面白いです。ミッチェルは、レディコングに愛された者であり、レディコングの守護者として描かれます。前作でキングコングの手にドワンがそっと握りしめられたように、ミッチェルもレディコングの手にそっと握りしめられるシーンがあり印象的です。ラストでレディコングとベビーコングはボルネオの生息地を与えられますが、映画のノベライズではその生息地の管理人をミッチェルがしているという楽しいオチがついています。一方、女性の社会進出が盛んになった1980年代らしく外科医のエイミーは、男勝りの活躍を見せます。感情の幅が広いミッチェルに対し、エイミーは前作のジャックのような冷静さを兼ね備えていています。まあ、演じるのが『ターミネーター』(1984年)でターミネーターを撃退したサラー・コナーことリンダ・ハミルトンですから、エイミーが前作のドワンとは異なる女性像になるのは自然なことかもしれません。キングコングとレディコングが愛し合うようになるのと歩調を合わせるように、ミッチェルとエイミーが急接近していく過程が描かれ、映画の前半の見どころの一つになっています。
 人間の良識をミッチェルとエイミーが体現するのに対し、ネビット中佐はキングコングを狩り、殺戮するために機動部隊を展開します。キングコングが愛する者のために戦うのとは対照的に、ネビット中佐はただただ理解できない存在を抹殺しようと血眼になるわけで、その姿には狂気じみた怖さがあります。ネビット中佐は、キングコングに逆に叩き潰されますが、その死に場所が墓地というのも何やら象徴的です。また、映画にはキングコングを殺そうとするハンターたちが登場し、彼らのキングコングに対する蛮行が描かれます。ネビット中佐とハンターたちは人間の愚というものを私たちに見せつけます。
 ラストで死にゆくキングコングを戦いをやめた兵士たちが見つめます。彼らと一緒に観客もキングコングの愛を見ることになります。愚かな人間よりもキングコングらの方がはるかにヒューマン(人間的)だったということを人間は知るのでしょう。
 
 さて、『キングコング2』は、前作『キングコング』とは対照的な場面がいくつか登場します。前作ではキングコングは、タンカーでニューヨークに運ばれてきましたが、『キングコング2』では、レディコングは飛行機でアトランティック大学に運ばれてきます。また、前作では世界貿易センタービルに登るキングコングとヘリコプター部隊の戦いという縦の構図でクライマックスシーンを構成していましたが、『キングコング2』のクライマックスは軍の基地と近くの町という平野を舞台にしたキングコングと機動部隊の戦いで、横の構図。前作はキングコングの死という喪失感溢れる幕切れでしたが、『キングコング2』では、キングコングの再度の死で変わらぬ喪失感を与えながらもベビーコングの誕生が描かれ、救いと希望を観客に与えます。
 前作で現代に蘇ったキングコングの物語の完結編として見事に作りあげられた『キングコング2』。鑑賞後も観客には、エモーショナルな余韻が続きます。

『キングコング2』(1)待望の続編!は、こちら。

けんいち

管理人のけんいちです。 関西在住の映画の思い出ライター、映画グッズコレクターです。