小松左京の原作小説『首都消失』の映像化を実現させたのは、当時最新の特撮技術です。現在の映画で多用されているCG(コンピュータ・グラフィックス)を使ったVFX(ビジュアル・イフェクツ)の前の時代、つまりアナログ特撮、SFX(スペシャル・イフェクツ)です。
1977年公開(日本では1978年)の『未知との遭遇』、『スター・ウォーズ』の大ヒットから、外国映画では、数多くのSF映画が作られ、SFX技術も飛躍的に発展しました。一方、日本映画はというと、SF映画、特撮映画は、さびしい状況でした。『スター・ウォーズ』の刺激を受けて、急遽、製作された『惑星大戦争』(1977年)と『宇宙からのメッセージ』(1978年)のあと、日本のSF映画、特撮映画は、停滞していたといえるでしょう。そんな状況だからこそ、SF映画ファンの私は、日本のSF映画、特撮映画を追い求めました。
『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(1983年)の上映前に予告編が流れた『さよならジュピター』(1984年)に期待し、公開されるとすぐに観に行き、楽しみました。『さよならジュピター』では、外国のSF映画で用いられていたモーションコントロールカメラやCGを導入。日本の特撮技術の発展に喜びました。『さよならジュピター』のあとには、『ゴジラ』(1984年)が公開され、着ぐるみのゴジラに加えてサイボットゴジラで表情を描くなど、これまたSFファンとして楽しみました。その次にやってきたのが『首都消失』で、「雲」にすいこまれる人物の映像にハイビジョンを導入、などこれまた大いに楽しみました。ラストには、「雲」によって破壊される建物で東宝特撮のお家芸のミニチュアワークが登場。また、「雲」を突破するために使われるSCMトラックは、そのパラボラを乗せた形状といい、東宝怪獣映画のメーサー殺獣光線車に似ていて、SFファン、特撮ファンにはうれしいメカニックでした。『首都消失』をはじめ1980年代、1990年代の日本のSF映画をリアルタイムで鑑賞できたことは、日本の特撮技術の発展を今まさに目撃しているという、得がたいおもしろさがありました。
『首都消失』のあと、『漂流教室』(1987年)、『竹取物語』(1987年)、『帝都物語』(1988年)、『孔雀王』(1988年)、『スウィートホーム』(1989年)、『ガンヘッド』(1989年)、『帝都大戦』(1989年)、『孔雀王/アシュラ伝説』(1990年)、平成ゴジラシリーズ(1989年~1995年)、平成ガメラシリーズ(1995年~1999年)と楽しみながら、日本の特撮技術の発展を目撃することになります。
1980年代、1990年代は、日本の特撮技術の世界レベルへの挑戦の時代でした。中でも平成ゴジラシリーズ、平成ガメラシリーズは、人気と評価を集め、1990年年代からアナログ特撮からデジタルに徐々に移行します。そして、2000年以降、日本のVFX技術のレベルは、飛躍的に上がりました。
VFX技術の飛躍の前夜ともいえる1980年代、1990年代の日本の特撮映画は、一作一作に技術的な挑戦が見られます。『首都消失』もそんな一作といえるでしょう。
『首都消失』は、「雲」におおわれた東京の外が舞台です。したがって、劇中、大阪府知事が臨時代行政府を作るために動いたり、大阪のKSテレビが、報道の拠点になったりと大阪、関西が重要な場所になります。このあたり、関西在住の私には、うれしいところでした。関西テレビが製作に当たっているのもうなずけます。
ポスターを描いたのは、生頼範義。『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(1980年)のポスターで世界的に知られる画家です。『首都消失』のポスターも迫力ある仕上がり。新宿副都心のビルを中心に配置し、一帯が不気味な「雲」におおわれ、空から幾筋もの稲妻が落ちてきている様子が描かれています。チラシのほか、原作小説のカバーにも使われています。
ただ、『首都消失』では、物語の上では、だれも「雲」の中の様子を知ることはできません。『首都消失』の公開前に関西テレビで放送された宣伝番組で、登場した小松左京が、「原作者も知らない東京の中の様子」と言っていたのがおもしろく印象的でした。