キャスト、スタッフともにハリウッドの豪華な人材が集められました。
スティーブ・ケルソにティム・マティスン。『ダーティハリー2』(1972年)で注目されたあと、『アニマル・ハウス』(1978年)で名を上げ、『1941』(1979年)にも出演。マイク・ケルソに『タッカー』(1988年)の若手コーキー・ネメック。アレックス・ノフに新人のアナベル・スコフィールド。ティーグに『タクシー・ドライバー』(1976年)、『アウトランド』(1981年)のピーター・ボイル。砂漠の哲学者ともいうべきトラビスに『シェーン』(1953年)の悪役ガンマンで有名なジャック・パランス。ジャック・パランスは、当時第二の全盛期を迎えていて、前年には、『バットマン』(1989年)に出演。翌年の『シティ・スリッカーズ』(1991年)でアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。スキート・ケルソに名優チャールトン・ヘストン。チャールトン・ヘストンといえば、『十戒』(1956年)、『ベン・ハー』(1959年)、『エル・シド』(1961年)などの名作史劇がすぐに思い浮かびますが、実は『猿の惑星』(1968年)、『地球最後の男 オメガマン』(1971年)、『ソイレント・グリーン』(1973年)などのSF映画でも活躍しました。そして、日本からは別所哲也が出演、ケン・ミナミを演じています。
監督は、アメリカン・ニュー・シネマの傑作『バニシング・ポイント』(1971年)で有名なリチャード・C・サラフィアン。ほかに、ファラ・フォーセット主演の『サンバーン』(1978年)など。
プロデューサー兼特撮監督は、『スター・ウォーズ』シリーズ(1977年~1983年)、『レイダース/失われたアーク≪聖櫃≫』(1981年)の特撮マン、リチャード・エドランド。当時、リチャード・エドランドは、SF映画だけでなく、アクション映画『ダイ・ハード』(1989年)のSFXを手がけたり、D.W.グリフィスの1916年のサイレント映画『イントレランス』復活上映に貢献したり、と大活躍していました。『イントレランス』復活上映にあたり、演出総指揮を担当、さらにD.W.グリフィスに捧げる短編のオマージュ・フィルムを監督しました。復活した『イントレランス』は、このオマージュ・フィルムとともに、日本でも1989年に日本武道館、名古屋の日本ガイシホール、大阪城ホールを会場にして、イベント上映されました。
リチャード・エドランドは、『2001年宇宙の旅』(1968年)の続編『2010年』(1984年)のSFXを手がけています。『2010年』は、木星への旅でした。それに対し、『クライシス2050』は、太陽への旅です。
宇宙船などのデザインは、『トロン』(1981年)、『ブレードランナー』(1982年)でSFファンにはおなじみのシド・ミード。『クライシス2050』では、ヴィジュアル・フューチャリストという肩書きがついています。『2010年』のソ連の宇宙船レオノーフ号、『エイリアン2』(1986年)の宇宙船スラコ号もシド・ミードのデザインです。
音楽は、『アラビアのロレンス』(1962年)、『ドクトル・ジバゴ』(1965年)、『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)の巨匠モーリス・ジャール。『首都消失』(1987年)に続く日本映画への参加になりました。